竹の谷蔓牛

現代のブランド和牛の源流「竹の谷蔓牛」の持続可能な存続を目指して。

元祖和牛の赤身が旨い

竹の谷蔓牛


竹の谷蔓牛とは 古来農耕のパートナーであり、耕運、運搬の動力で役牛(えきぎゅう)として飼育された在来和牛。
体格や発育のよさ、長命連産な生産力の高さなどの優良な性質が世代を超えて遺伝することを植物の蔓に例えて、蔓牛(つるうし)と呼ばれ、家族同様大切に飼育されてきた。

史上最古の記録によると竹の谷蔓牛は岡山県新見市新郷釜村竹の谷集落で江戸時代後半(1830年頃)に生み出された。 竹の谷蔓牛は岡山県下では大赤蔓(後の千屋牛)や名牛第13花山号を生み出し、周助蔓(兵庫)、ト蔵蔓(島根)、岩倉蔓(広島)など近隣の県へも分かれ蔓として広まり、田尻(兵庫)、藤良(岡山・島根)、気高(鳥取)の黒毛和牛三大血統の祖となり、日本のすべてのブランド和牛へとつながってゆくのである。

明治の黒毛和牛改良の時代、政府の方針で外国産牛との交配で大型化が勧められ、さらに役牛から肉用牛へとその飼育目的が変わると、黒毛和牛は霜降り肉として改良を重ねていく。

一方岡山県の一部地域では竹の谷蔓牛からつながる純血統が個人農家によって伝えられ続けてきた。

竹の谷Labo


私たちは、竹の谷蔓牛の持続可能な存続について探求する竹の谷Laboを結成し、 生み(繁殖農家)育て(肥育農家)解く(精肉店)それぞれの仕事を追求しています。
あなたも消費者として竹の谷Laboに参加してみませんか?